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更新日:2026年8月4日
大中遺跡は、昭和37(1962)年6月、町内に住む3人の中学生によって発見されました。
その後の発掘調査により、弥生時代後期(約1,900年前)から古墳時代初頭にかけて営まれた大規模な集落跡であることが明らかになりました。
発掘調査では数多くの竪穴住居跡が見つかっており、約150年にわたって住居が繰り返し建てられ、少なくとも250軒の住居が存在したと考えられています。
また、中国製の鏡(内行花文鏡片)をはじめ、多くの遺物が出土しています。
発掘調査の詳しい経過は、調査年表をご覧いただけます。
現在も兵庫県立考古博物館によって史跡公園の整備・公開・管理が行われ、弥生時代の暮らしを体感できる「播磨大中古代の村」として親しまれています。
発掘調査では、弥生時代の人びとが暮らした竪穴建物跡が数多くみつかりました。
大中遺跡公園では、その成果をもとに弥生時代の住居を復元しています。

復元竪穴住居跡1901号(外観)
大中遺跡は、のちの時代の耕作などによって地面が削られたため
住居跡の深い部分しか残っていませんでした。
しかし、他の遺跡の調査では、雨水が建物内に流れ込むのを防ぐために
住居の周囲に土を高く盛り上げた「土堤(どてい)」の跡がみつかっています。
1901号住居の復元では、こうした他の遺跡の調査事例も参考にしました。

復元竪穴住居跡1901号の土堤(どてい)
建物の中に入り、弥生時代の人びとが暮らした空間を体感してみてください。

復元竪穴住居跡1901号の内部
発掘調査では、地面を円形に掘りくぼめた床や、柱をたてた穴が見つかりました。
床の直径は約6メートルで、円形に掘り込まれた竪穴住居です。
この住居の大きな特徴は、火をたく炉の周囲の土をドーナツ状に盛り上げていることです。
これにより、灰や炭が居住スペースに散らばらないように工夫していたのでしょう。

大中遺跡から見つかった土器を調べると、弥生時代の人びとが、食べ物を蓄え、煮炊きをし、食事をした暮らしの様子が見えてきます。
発掘調査で見つかった弥生土器を、住居跡などのまとまりごとに調べて比較することで、土器の形が時代とともに変化していく様子がわかります。
住居跡の形や重なりを調べることで、同じ場所で建て替えが繰り返され、住居の形も時代とともに変化したことがわかります。
調査で確認できた約150年間のムラの特色を知ることができます。
さらに周辺の遺跡と比較することで、大中遺跡が東播磨地域の中でどのような位置づけにあったのかを知ることができます。

大中遺跡公園では、史跡整備の一環として植生復元を行いました。
弥生時代にも地域で見られた可能性がある樹種を見ながら、当時の自然環境をイメージして散策を楽しめます。

大中遺跡公園
季節ごとに咲く花を眺めながら、園内を散策してみましょう。

資料館前の八重桜(4月中旬)

狐狸ヶ池のガガブタ(7月)

さざんか(1月)

梅(3月上旬)
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