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更新日:2023年2月2日

新聞の父:ジョセフ・ヒコ

幼名は「彦太郎」

ジョセフ・ヒコは、1837(天保8)年9月20日(8月21日)、播磨国加古郡古宮村(播磨町古宮)に生まれ、幼名を彦太郎(のち浜田彦蔵)といいました。父親は、彦太郎の誕生を祝うと間もなくこの世を去り、数年後、母親は再婚して隣の本庄村浜田(播磨町本荘)へ移り住みました。

彦太郎は、養父の船乗りにあこがれていましたが、母親は危険を伴う仕事には反対でした。13歳のとき母親が亡くなり、彦太郎は栄力丸で江戸へ出かけました。江戸見物を終えての帰り、船が嵐で難破し、太平洋を52日間漂流していました。

栄力丸ヒコの似顔絵・イラスト

近代国家アメリカ

漂流して53日目の朝、彦太郎ら17人はアメリカ商船オークランド号に救助され、1851(嘉永4)年3月、サンフランシスコの港に着きました。日本人として初めてダゲレオタイプ(銀板写真法)の写真機で撮影され、その写真をもとにスケッチした姿が新聞「イラストレイティド・ニュース」で紹介されるなど大きな話題となりました。

アメリカ政府は、ヒコら17人を日本へ送り返し、国交を始めるきっかけにしたいと考えました。先に着いた中国でペリー艦隊を待っていたヒコは、その到着が大幅に遅れたことやトーマスの勧めもあって再びアメリカへ戻りました。サンフランシスコに着いたヒコは、税関長で優れた企業家であったサンダースに認められ、彼の秘書として働くようになりました。同行して二ユーヨークを訪れたとき、初めて見るガス燈や蒸気機関車に大変驚きました。またワシントンでは、日本人として初めてピアース大統領に会う機会を得るなど、ヒコは多くの刺激を受け見聞を広げていきます。

帰化名は「ジョセフ・ヒコ」

ヒコは、サンダースの援助でカトリックの学校に入学し、聖書をはじめ英語や算数を学び、1854(嘉永7)年10月洗礼を受け、名前をジョセフ・ヒコと改めました。また日本への帰国に際し、アメリカ国籍をもっていた方が有益だとサンダースに勧められ、1858(安政5)年6月、日本人として初めてアメリカ市民権を取得しました。日米修好通商条約が結ばれたことを聞いたヒコは、同年9月アメリカを出発しました。

開国した日本で通訳

1859(安政6)年7月、長崎を経て神奈川へ入ったヒコ(21歳)は、9年ぶりに日本の地を踏み、アメリカ領事館通訳として働きました。このとき面会を許された義兄に、サンフランシスコで友人ヴァン・リードと撮った写真を記念に渡しています。

幕末は、外国人が攘夷の浪人に襲撃・暗殺される事件がたびたび起こり、身に危険を感じたヒコは再び渡米しました。アメリカでヒコは、リンカーン大統領と会見する機会に恵まれ、民主主義に共感しますが、望郷の念と開国した日本への熱き思いから再び日本へ旅立つ決意をします。

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ガラス板写真:ヒコ(右)とヴァン・リード

日本初の「海外新聞」発行

1862(文久2)年10月、日本に帰ったヒコはアメリカ領事館通訳として働きますが、1年で辞めて再び商社を設立し、新聞発行に向け準備を始めます。横浜では、まだ外国人が迫害を受け、新聞の発行は身を危険にさらす行為でしたが、日本に外国の事情を伝えたいという思いは強く、ヒコは協力者を探します。

そして、1865(慶応元)年5月、ヒコは日本で初めての新聞を発刊します。新聞は、ヒコが外国の新聞を翻訳し、岸田吟香と本間潜蔵がひらがな交じりのやさしい日本文に直したものでした。「新聞誌」の名で発刊された新聞は、半紙4・5枚に筆写したものをこよりで綴り、横浜市内に100部程度配っていました。翌年には「海外新聞」と改題し、木版刷りで26号まで発行しています。「童子にも読なん(子どもにも読まれる)」とする編集方針や18号から広告を掲載するなど、開拓精神に満ちた新聞づくりは現在の新聞の土台を築き、今でも高く評価されています。

ー新聞発刊1864(元治元)年6月説ありー

海外新聞

文明開化の一翼を担う

その後も、ヒコは長崎で英国商館と鍋島家との間に入って高島炭坑の共同経営を成立させたり、大阪造幣局の設立に尽力したりするなど、文明開化の日本で活躍しています。

また、1870(明治3)年12月には、郷里へ立ち寄って両親の墓を注文し、翌年除幕式を行っています。この墓は、裏面に英文が刻まれていることから「横文字の墓」と呼ばれ、蓮花寺(播磨町本荘)境内に立っています。

横文字の墓

1897(明治30)年12月12日、60歳で波乱に満ちた生涯を閉じたヒコは、東京青山の外国人墓地に葬られました。その石碑には「浄世夫彦之墓」と刻まれています。

年表でみるジョセフ・ヒコの足跡

平成の「Heco・彦星」誕生

お問い合わせ

部署:播磨町郷土資料館

住所:加古郡播磨町大中1丁目1番2号

電話番号:079-435-5000

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