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ジョセフヒコ年表

更新日 2006年07月28日
和暦 西暦 主な出来事
天保8年 1837 8月21日、播磨町古宮に生まれる。幼名は彦太郎
嘉永3年 1850

 9月、栄力丸で江戸へ向う

10月29日、遠州灘で暴風にあい漂流

12月21日、米商船オークランド号に救われる

嘉永4年 1851 2月3日、サンフランシスコに着く
嘉永5年 1852

3月13日、帰国のためサンフランシスコ発

5月20日、香港着

10月初め、再び、渡米。12月初め、サンフランンスコ着

嘉永6年 1853

8月5日、サンダースに伴われてニューヨーク着

8月13日、大統領ピヤース氏と会見

安政元年 1854

1月17日、ボルチモアのミッション=スクールに入学

10月30日、カトリックの洗礼を受け、ジョセフの名を用い始める

安政4年 1857 11月25日、大統領プキャナンと会見
安政5年 1858 6日30日、帰化し米国市民権を得る
安政6年 1859

5月29日、上海のハリスを訪ね、神奈川領事館通訳に決まる

6月18日、長崎着神奈川入港

万延元年 1860

2月、領事館を辞任

3月、貿易商館をひらく

文久元年 1861 9月17日、三度目の渡米の途に着く
文久2年 1862

3日2日、リンカーンと会見

10月13日、横浜に帰り、再び米国領事館通訳の仕事を始める

文久3年 1863

9月30日、領事館を辞任

秋、『漂流記』上梓

元治元年 1864 6月、『海外新聞』発刊
慶応2年 1866 12月25日、横浜を去り長崎に向う
慶応3年 1867 6月、木戸孝充・伊藤博文が訪ねてくる
明治元年 1868 8月7日、故郷古宮に帰る
明治2年 1869

神戸に永代借地権を得る

6月、香港造幣局の施設を買収し、大阪造幣局を創設するについて尽力する

明治3年 1870 10月、両親の墓碑をたてるために帰郷
明治4年 1871 11月2日、両親の墓碑除幕、英文が刻まれているところから「横文字の墓」とも呼ばれている
明治5年 1872 8月、大蔵出仕となり「国立銀行条例」の編さんに従う
明治7年 1874 大蔵省を退き横浜の岡本伝右衛門に請われて商業教習に従う
明治8年 1875 5月1日、北氏と合同、神戸で製茶の輸出貿易を始める
明治9年 1876 北氏との茶商解散、単独の事業となる
明治14年 1881 1月、神戸で精米所も始める
明治17年 1884 12月26日、精米所の蒸気機関を貸し、神戸にはじめて電燈がともる
明治20年 1887 3月12日、神経痛治療のため上京、駅頭で伊藤博文と再会
明治21年 1888 2月4日、東京に移り住む
明治25年 1892 ヒコ自伝『ナレティヴ』の上巻丸善から発行
明治26年 1893 『開国之滴』出版される
明治30年 1897 12月12日、心臓病で死去。青山の外国人墓地に葬られる
昭和10年 1935 神戸市が生田区中山手通六丁目に「本邦民間新聞創始者ジョセフ・ヒコ氏居址」碑を建てる
昭和31年 1956 5月16日、「ジョセフ・ヒコ墓地保存会」生まれる
昭和35年 1960  12月19日、阿閇村(現在の播磨町)が「新聞の父浜田彦蔵の碑」を阿閇小学校(現在の播磨小学校)の校庭に建てる
昭和49年 1974 6月、播磨町の浜田海岸に「生誕の地」の碑を建てる
昭和55年 1980 4月12日、播磨町中央公民館の前庭にヒコの胸像を建てる